今日は東日本大震災から10年ですね。

NHKをはじめメディアでも震災関連の特集が多く組まれていますが、原発周辺の帰還困難区域は除染が進まない現状などを見聞きするにつれ、被害の深刻さを改めて実感します。

2011年当時は開業するだいぶ前で、たまたま休日だった私は、当時の勤務先治療院の男性スタッフ代表でホワイトデーのお返しを探しに、日本橋三越の地下食品売り場にて地震を経験しました。

平日でしたがけっこうたくさんの買い物客が店内には居り、地震発生時は高齢者の方はしゃがみこんでしまうほどの揺れでした。

三越のスタッフは現場の混乱を落ち着かせようと懸命に動かれていて、プロ意識を強く感じたのが印象に残っています。

直前にもニュージーランドで大きな地震が起こり、建物が倒壊して日本人看護学生が何人も亡くなったことや、スマトラ島での津波被害などが頭をよぎりました。

日本橋地区も元々は海を埋め立てて作った街だし、湾になっているが海はすぐそばなことが気がかりでした。

 

最初の揺れがおさまった後、携帯が使えないことがわかり、自宅にいた妻と合流するため買い物を中断して帰宅しました。

当時は日本橋本町に住んでいて、2階だったこともあり自宅の被害はほとんどありませんでしたが、建物の安全性も分からなかったため、近くの堀留町公園に避難しました。

公園では近隣で働いている人たちも多く非難していて、上空ではヘリコプターが津波警報が発令されている旨を知らせていました。

公園待機中にも大きな揺れがあり、すぐそばの細長いビルが豆腐のようにゆらゆらと曲がっている光景も恐怖心を増大させました。

 

 

夜になり電車が止まった都心から住宅地に徒歩で帰宅する人たちの長い行列があり、自宅の近くにいた自分が不幸中の幸いだったと感じさせました。

翌日は勤めていた杉並区の治療院に出勤しましたが、東北が津波で大変なことになっていることや、原発事故の映像がテレビで何度も流れ、自分はここで仕事をしていて良いのか不安に感じたことを思い出します。

 

震災から10年を経て、改めて亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだ避難されている方や原発事故の処理に対して、自らができることを考えて生きていきたいと思います。